BELL’S STUDY NOTE
ひとことで言うと:1995年、成人男性が高殺傷力のホローポイント弾で銃撃された。受傷から約27分で病着、病着23分後(受傷50分後)に手術開始。CTやIVRは行わず、初療室に隣接する救命センター手術室で開腹した。
勉強した日:2021-12-21(録画を2026-10-14に見直し) / きっかけ:録画した講演・勉強会
医療従事者向け:本記事は教育・一般的な医学情報のための記事です。個々の患者の診断・治療を代替しません。
要点
- 1995年、成人男性が高殺傷力のホローポイント弾で銃撃された。受傷から約27分で病着、病着23分後(受傷50分後)に手術開始。CTやIVRは行わず、初療室に隣接する救命センター手術室で開腹した。
- 主な損傷は大動脈側壁、左腎・腎動脈、胃貫通、小腸、結腸、膵。大動脈は鉗子でコントロールして連続縫合した。
- 術中に低体温からVT・VFとなり、心マッサージと除細動を6回実施。タオルクリップで一時閉腹して復温し、同日夜に再開腹した。当時の日本に「ダメージコントロール」という言葉はなく、「勇気ある撤退」と呼んでいた。
- 輸血・血液製剤11,610ml、輸液7,972ml、合計19,582ml。返却不能血の即時使用と、感染症検査済みのO型ドナーからの生血輸血が大きかった。
- 翌日に抜管し、約100日の入院(大半はリハビリ)を経て退院した。
企画の趣旨
司会の大友会長は、断片的にしか知られていない1995年当時の外傷診療の判断と経過を、当事者から直接聞いて残すことを企画の目的として述べた。使用された弾丸は体内で広がって大きな損傷を作る殺傷力の高いものと説明された。辺見氏は、当時センターでは銃創を年間10例程度経験していたが、これほど破壊力のある銃弾の症例はなかったと述べた。
覚知から病院選定まで(東京消防庁)
- 通報を受け、直近署から救急隊1、ポンプ隊1、指揮隊1が出場。その後、警察から専用回線で連絡が入り、指揮隊の増強と本部対応に切り替えた。
- 救急隊からの状況聴取は、無線の傍受を避けるため電話で行った。銃創の射入口3か所、意識JCS300、下顎呼吸、脈拍微弱、出血中等量。
- 直近の救命対応可能な3施設に依頼し、いずれも受け入れ可能だった。3施設とも距離は約5kmでほぼ同じ。
- 救急隊活動: 覚知から現着5分、現場滞在7分、現発から病着11分(覚知から病着まで約23分)。
搬送先は直近を原則とし関係者の指定は受けないのが建前だが、距離が同等であることから関係機関の強い要望もあって日本医大に決めたと須藤氏は述べた。フロアからの現場処置についての質問に、辺見氏は現場では何もせずに運ぶのがよいと答えた。
当時の日本医科大学高度救命救急センター
- 1975年救急医療センター、1977年救命救急センター、1993年高度救命救急センター。
- 医師30名(5グループ)、看護師70名、35床(ICU17、HCU18)、年間入室約1,600例。
- 手術件数は1995年711件、1996年841件。1995年の外傷手術は頭部72、胸部48、腹部82、整形・形成119件。
- 1993年5月から1994年12月の約1年半に銃創8例(死亡3、生存5)を経験していた。
加地氏はダメージコントロールの歴史として、1979年Calneの肝パッキングから1993年Rotondoによる命名までを示した。本症例は命名の2年後にあたる。
受け入れと初療
益子氏によると、直前にCPAの受け入れ要請を受けていたが、消防側がCPAを他院に回し、本例に全力を注げる体制になった。
- 入室時所見: JCS20、血圧測定不能、呼吸数24/分、冷汗著明。体表に6か所の銃創、上腹壁と大腿皮下に弾丸を触知。
- 腹腔内大量出血による出血性ショックと判断し、救急室での手術を決定。複数の輸液ラインから急速輸液とO型輸血を開始した。
- 血圧が80mmHgまで上昇したところでawake intubationを行った。血圧は一度上がった後に再び下がった。
- 病着23分後にER手術室で手術開始。
辺見氏は、血圧が触れない患者では大腿動脈も触れにくく、IVRのためのライン確保に時間を使えばそれで終わってしまうこと、CT室は隣にあったが不要と判断したことを述べた。バイタル不安定のno responderであり、初療室の手術室で麻酔科と器械出しを含め通常の手術室と同じ体制で開腹できた。既往から左胸腔の癒着が予想されたため、開胸大動脈遮断は最後まで避ける方針とした。
輸血について辺見氏は、当時は一度病棟に出た血液は輸血部に返却できず、それを救命センターで保管していたためすぐ使えたと述べた。益子氏は、感染症検査済みのO型ドナーが集められ、次々に採血して生血を輸血したことが最も効いたと振り返った。
第1回手術(約4時間30分)
- 正中切開で開腹。腹腔内出血は吸引量で3,200ml、左後腹膜に血腫を認めた。
- 腹壁の射出口に一致して胃の前壁・後壁に活動性出血があり、デブリドマンして縫合した。
- 既往による癒着で大網・結腸・小腸が一塊になっており、まず癒着剥離が必要だった。
- 下行結腸を左側から授動して後腹膜に入った。血腫に達したところで一気に大量出血した。
- 大動脈は虚脱しており、外側と内側から鉗子をかけて持ち上げ、止血を得た。大動脈側壁の損傷は1〜1.5cm程度。連続縫合で閉鎖すると出血は止まった。
- 弾丸は腎の外側から入り腎門へ抜けており、左腎動脈は強くねじれた状態だった。
- 続いて汚染への対処として小腸切除、左半結腸切除を行い、S状結腸・直腸はHartmannとした。
- 膵損傷は膵体尾部切除も考えたが、ドレナージにとどめた。
大動脈の圧迫について益子氏は、大動脈遮断鉗子(aortic compressor)を使っていたと述べた。司会は、腹部大動脈銃創の救命率は腎下部で40%、腎上部で20%とする報告を引用した。
麻酔科から見た救命の要因
- 場所と時間: 一般手術室ではなく救命センター手術室で、夜勤明けと日勤入りのスタッフが両方そろう時間帯だった。最初の1時間で約10Lの出血があり、全員がポンピングで輸血・輸液を続けた。急速輸液装置はなかった。
- 酸素化: 大量輸血にもかかわらず最後までP/F比400以上を保った。
- 早めの除細動準備: 体温35度付近でmultiple VPCが出た時点で除細動器を持ってくるよう指示し、約1分後にVFとなった。手術終了前にOsborn波、VT、VFが出現。体温は最終的に32〜33度程度。
- スタッフの正義感と熱意。
益子氏は、VFになった時点で誰の指示もなく胸骨圧迫が始まり、別の医師が除細動器を持ってきて通電したと述べ、各自が自分の役割を知っていたことを強調した。心マッサージと除細動は計6回。
輸液・輸血量はスライドで輸血8,450ml、FFP2,560ml、PPF600ml(計11,610ml)、輸液7,972ml、合計19,582ml。
閉腹の判断
1回目はタオルクリップで閉腹し、Damage Control Op.とした。辺見氏は、広範囲熱傷の早期手術で低体温をたびたび経験し、復温すれば立て直せることを知っていたため、一度戻して復温してからやり直す判断になったと説明した。益子氏は、突っ込み続けても救命できなかった経験から、当時これを「勇気ある撤退」と呼んでいたと述べた。
第2回手術と術後経過
- 同日夜に約1時間の再開腹。左腎摘出と腎静脈結紮、弾道の再確認、銃弾摘出、ドレーン追加、人工肛門造設。膵は膵液の漏れを認めたが切除せずドレナージとした。腹壁は閉鎖してドレーンを留置した。
- 術後: 不整脈にリドカイン投与で洞調律、体温32℃から37℃へ復温、凝固能は正常範囲、血小板輸注、BE-12から-5以内へ改善。
- 翌日に抜管し意識清明。加地氏は、大量輸液後でリフィリングを待つのが通例のところ翌日に抜管したと述べた。
- その後、無気肺、カテーテル感染・創感染、膵液瘻、正中創の哆開などを経て、ドレーン抜去と創閉鎖に至った。
入院は約100日で大半はリハビリだった。
学び・実践へのポイント
- 血圧測定不能のno responderの穿通性腹部外傷では、画像検査やIVRに時間を使わず、初療室に隣接した手術室で直ちに開腹する。病着から23分で執刀できる体制そのものが救命の条件だった。
- 既往歴(胸膜癒着の予想など)は大動脈遮断の経路の選択に直結する。
- 出血のコントロールを先に行い、次に汚染のコントロール、再建や膵切除などは行わずドレナージで撤退する。低体温と致死性不整脈が出た時点で一時閉腹し、復温後に再手術する。
- 低体温下の不整脈は予測して除細動器を先に用意する。VFになってから取りに行くのでは遅い。
- すぐ使える血液の確保が決定的である。本例では手元の保管血と、感染症検査済みの同型ドナーからの生血が使えた。
- 指示がなくても各自が胸骨圧迫、除細動、ポンピングに動けるチームの習熟と、スタッフがそろう時間帯・場所という条件が結果を左右した。
自分用メモ
(迷ったところ、自施設での運用、次に調べたいこと)
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確認の範囲
このノートは、録画の音声の自動文字起こし(Notta)とスライドの画像から作成した要約である。音声認識の誤りは文脈とスライドで補ったが、数値や固有名詞には聞き取りの誤りが残り得る。演者の発言とスライドの内容を整理したもので、言及された論文やガイドラインの原著とは照合していない。
このノートは外傷外科医ベル個人の勉強メモです。演者の見解を記録したもので、実際の診療では最新のガイドラインと各施設の方針を確認してください。


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